なんとなく城跡巡り2

主に近畿地方を中心にCBR400Rで城跡を巡っています

水ヶ江城跡

♢城郭情報
所在地:佐賀県佐賀市中の館町7−15
別名:なし
築城主:龍造寺康家
築城年:文明年間(1469年~1487年)
廃城年:慶長7年(1602年)
主な城主:龍造寺氏
遺構:なし
再建造物:石碑
指定文化財:なし
訪城日:2023年5月3日(水)晴
駐車場:なし

【歴史】
現在の佐賀城の南東部槇村と呼ばれるところに水ヶ江城が存在していた。龍造寺康家が村中城を二男の家和に譲った際、水ヶ江館に隠居したが、康家が没後は第六子の家兼が引き継いだ。やがて家兼が拡張させ城としての整備がなされたようで、西館の二館と中館・東館・本館の五館に分かれ、周を濠で囲まれる構造であった。天文13年、家兼は少弐冬尚の命を受け、島原半島の有馬氏を攻撃したが逆に敗退、水ヶ江城を囲まれることとなる。城は少弐氏の謀略により開城、家兼は鍋島清久を頼っていった。水ヶ江城は小田政光が入城していたが、家兼は一気に奪還してしまう。やがて曾孫の円月を還俗させ、水ヶ江城を孫鑑兼に譲り翌年九十三歳で没した。円月は隆信と名乗り、本家村中城の龍造寺胤栄と共に少弐氏の勢力を攻め込んでいった。やがて胤栄の病死により隆信が村中城を相続し、龍造寺氏の当主となった。しかしこの時水ヶ江城にいた鑑兼を推す一派に負け、隆信は筑後に追放されてしまう。その二年後に返り咲いた隆信は弟長信を水ヶ江城を入れ、代々子孫が受け継ぐこととなる。鍋島直茂の代になって乾亨院・玉峰軒・聴松軒・泰陽軒の四寺を建てた。 
『日本城郭大系17』参照







◇龍造寺隆信公生誕地の石碑

◇龍造寺隆信公生誕地説明文

◇隆信公胞衣塚








♢水ヶ江城跡へのアクセス

唐津城跡

♢城郭情報
所在地:佐賀県唐津市東城内8−1
別名:舞鶴城、石城
築城主:寺沢広高
築城年:1608年(慶長13年)
廃城年:1871年(明治4年)
主な城主:寺沢氏、土井氏、水野氏、小笠原氏
遺構:石垣、堀
再建造物:模擬天守、復元櫓・門・石垣・堀
指定文化財:なし
訪城日:2023年5月3日(水)晴
駐車場:市営有料駐車場(東城内駐車場)
続日本100名城:185番
スタンプ設置場所:唐津城天守閣1階
御城印:天守閣内売店

◇【公式】唐津城


【歴史】
文禄4年(1595年)豊臣秀吉の家臣寺沢広高がこの地に封ぜられた。広高は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで東軍につき、12万3千石の外様大名となった。慶長7年(1602年)より本格的な築城を行い、慶長13年(1608年)に完成した。築城に際し東唐津側と地続きであった満島山を切り離し、松浦川がそこから唐津湾に注ぐよう流路を変更した。また、秀吉の死後、廃城となっていた名護屋城の遺材を使用し、九州各地の諸大名の助力を得て築城した。東西に伸びる松原が両翼を広げた鶴のように見えることから、別名「舞鶴城」と呼ばれています。広高の子の堅高は、天草領に構えていた富岡城が島原の乱の際に一揆側に攻められた際、その責任を取らされ天草領4万石を没収された。堅高は、正保4年(1647年)に江戸藩邸で自殺し、また嗣子がなかったために寺沢家は断絶となった。以後、譜代大名5家が入れ替わった。寺沢氏が改易となると一時天領となったが、慶安2年(1649年)播磨国明石城主大久保忠職が城主となった。延宝6年(1678年)大久保氏が下総国佐倉城に転出し、代わって同地より大給松平乗久が入城。元禄4年(1691年)大給松平氏が志摩国鳥羽城に転出し、同地より土井利益が入城。宝暦12年(1762年)土井氏が下総国古河城に転出し、三河国岡崎城より水野忠任が入城。文化14年(1817年)に、後に天保の改革を行った水野忠邦が出世目的に遠江国浜松城に転出を希望し、陸奥国棚倉城より小笠原長昌が入城、以後明治維新まで小笠原氏の居城となった。明治4年(1871年)廃藩置県により廃城となり、払い下げにより建造物が解体された。
引用:Wikipedia唐津城

◇船入門

◇船入門説明板



◇登城口

◇唐津城の説明板

◇舞鶴公園マップ



◇二ノ曲輪

◇井戸

◇二ノ曲輪



◇本丸櫓門

◇模擬天守

◇本丸

◇亀頭櫓(北門は通行止め)

◇本丸

◇眺望

◇模擬天守・右側に化粧櫓

◇西門



◇石垣

◇旗竿石

◇旗竿石説明板

◇唐津城跡石碑

◇金毘羅神社










♢唐津城跡へのアクセス

福岡城

♢城郭情報
所在地:福岡県福岡市中央区城内
別名:舞鶴城、石城
築城主:黒田長政
築城年:1601年(慶長6年)
廃城年:1873年(明治6年)
主な城主:黒田氏
遺構:曲輪、櫓4棟、門3棟、石垣、天守台、横堀(水堀)
再建造物:二の丸北隅櫓、大手門、石碑、説明板
指定文化財:国の重要文化財(多聞櫓)、福岡県文化財(潮見櫓・下之橋御門・祈念櫓・母里太兵衛邸長屋門)、福岡市文化財(名島門)
訪城日:2023年5月2日(火)晴
駐車場:園内駐車場141台(有料)
日本100名城:85番
スタンプ設置場所:①福岡城むかし探訪館②三の丸スクエア ③鴻臚館跡展示館
御城印販売場所:福岡城むかし探訪館、三の丸スクエア内「舞遊の館」

※スタンプ設置場所や営業時間に変更があることもあります。必ず最新の情報をチェックしてから行くことをおすすめします。

◇【公式】福岡城・鴻臚館HP


【歴史】
1600年(慶長5年) 黒田孝高・長政父子は関ヶ原の戦いの功績により豊前国中津16万石から、筑前一国52万3千石で筑前名島に入封した。筑前の旧領主小早川秀秋の居城であった名島城に入城した。便宜上から名島城を廃し、福崎丘陵を新城地に選定した。1601年(慶長6年)には築城が開始され、7年後の1607年(慶長12年)に竣工した。江戸期には歴代の藩主により二の丸御殿や西の丸御殿の増築など数度の改修が行われたが、特に幕末の嘉永・万延年間に、11代藩主、黒田長溥により大改修が行われた。1873年(明治6年)廃城令発布により存城処分となる。

◇堀

◇堀

◇下之橋御門

◇下之橋御門

◇下之橋御門説明板

◇(伝)潮見櫓

◇(伝)潮見櫓説明板

◇黒田如水公隠居地跡(御鷹屋敷跡)





◇名島門

◇名島門

◇名島門説明板

◇三の丸

◇母里太兵衛邸長屋門

◇母里太兵衛邸長屋門説明板

◇松ノ木坂

◇石垣

◇鴻臚館跡

◇侍屋敷跡

◇上之橋御門跡

◇栗山備後屋敷跡

◇東御門跡(右の石垣上に革櫓)

◇烽火番所跡







◇扇坂御門跡

◇扇坂・扇坂御門跡説明板

◇大組櫓跡

◇松原櫓(向櫓)跡

◇二の丸跡
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◇松の木坂
三の丸から西二の丸に登るための坂の1つで、南側の桐の木坂に対して松の木坂と呼ばれています。

◇屏風櫓跡

◇向櫓跡

◇本丸表御門跡
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◇御祈念櫓跡

◇御時櫓跡

◇井戸跡

◇本丸跡

◇鉄御門跡

◇御旗石跡

◇小天守跡

◇小天守跡

◇御武具櫓跡

◇大天守台跡
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◇大天守台跡説明板

◇埋門跡

◇武具櫓跡

◇中天守跡

◇中天守跡

◇月見櫓跡

◇水の手

◇水の手の説明板

◇桐の木坂
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◇水の手御門跡

◇生捕櫓跡

◇多聞櫓
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◇多聞櫓

◇多聞櫓

◇多聞櫓

◇桐木坂御門跡

◇樹木所

◇南二の丸北隅櫓

◇鉄物櫓跡




♢福岡城跡へのアクセス

秋月城跡

♢城郭情報
所在地:福岡県朝倉市秋月野鳥663
別名:秋月陣屋
築城主:黒田長興
築城年:1624年(寛永元年)
廃城年:1871年(明治4年)
主な城主:黒田氏
遺構:本門(黒門)、長屋門、石垣、堀
再建造物:石碑、説明板
指定文化財:県指定史跡:城跡
県指定有形文化財:本門(黒門)・長屋門
訪城日:2023年5月2日(火)晴
駐車場:秋月公営駐車場(有料)

【歴史】
1624年(寛永元年)福岡藩主黒田長政の三男、黒田長興が福岡藩2代忠之より夜須・下座・嘉麻の範囲で5万石を分封され、長興は九州征伐以降に廃城となっていた秋月氏宅所を大幅に改修し、陣屋を置く。この城の前身は、秋月を知行地として与えられていた長政の叔父、黒田直之の居館であり、直之の死後10年以上放置されていた。以後、黒田氏12代が明治時代まで治める。1873年(明治6年) 廃城令によって廃城となり一部を残して撤去される。



◇杉の馬場

◇杉の馬場説明板

◇堀と石垣
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◇瓦坂(登城口)
秋月城の正門に至る坂を瓦坂といい、坂には土砂の流れを防ぐため瓦を縦に並べて敷き詰められている。(坂を上って御館正門(大手門、黒門)に至る)

◇陣屋跡にある秋月中学校

◇秋月中学校の敷地となった陣屋跡

◇長屋門

◇長屋門と櫓台

◇堀跡

◇秋月中学校の敷地となった陣屋跡

◇秋月中学校の敷地となった陣屋跡



◇陣屋跡にある秋月中学校

◇土塁

◇秋月城本門(黒門)



◇秋月八幡宮由緒

◇垂裕神社鳥居

◇垂裕神社拝殿

◇垂裕神社由緒書

◇勢留

◇勢留説明板


♢秋月城跡へのアクセス

太宰府政庁跡

♢城郭情報
所在地:福岡県太宰府市観世音寺4丁目6−1
別名:なし
築城主:天智天皇
築城年:7世紀後半
廃城年:不明
主な城主:大和朝廷
遺構:礎石、堀跡、土塁跡等
再建造物:石碑、説明板
指定文化財:国の特別史跡
訪城日:2023年5月2日(火)晴
駐車場:大宰府政庁跡駐車場

【歴史】
大宰府の成立については、様々な学説等がありますが、文献において「大宰」すなわち「大宰府」が登場するのは、『日本書紀』推古17年(609年)の筑紫大宰です。この筑紫大宰は、外国使節の饗応のための施設であり、当初は博多湾沿岸に「那津官家」が置かれていたと考えられています。663年、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れた日本軍は、唐・新羅連合軍の侵攻を想定し、辺境防備のために、敗戦後直ちに、天智帝は防人の配置など防衛網構築を矢継ぎ早に推し進めるが、この防衛網構築の一環として戦略上脆弱な地にあった「那津官家」を、防御強固な地理的条件が備わったこの太宰府の地を選定し移した。一説には自然地形を巧みに取り入れた「羅城」とも考えられています。この太宰府政庁跡は、発掘調査の結果、創建時を含め三回の建て替えが行われたことが判明している。現在の太宰府政庁跡の礎石等は、三回目のものであることが明らかになっています。




◇蔵司地区官衙

◇蔵司地区官衙説明板

◇太宰府政庁跡入口(南門跡)

◇堀跡



◇太宰府政庁説明板

◇築地跡

◇中門跡

◇回廊跡

◇脇殿跡

◇正殿基壇跡に立てられている石碑

◇正殿跡説明板
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◇東廻廊跡

◇西脇殿跡



◇月山東地区官衙説明板

◇月山東地区官衙


♢太宰府政庁跡へのアクセス

岩屋城

♢城郭情報
所在地:福岡県太宰府市・大野城市・糟屋郡宇美町
別名:なし
築城主:高橋鑑種
築城年:1532年 ~1554年(天文年間)
廃城年:1586年(天正14年)
主な城主:高橋氏
遺構:土塁、堀切
再建造物:石碑、説明板
指定文化財:なし
訪城日:2023年5月2日(火)晴
駐車場:なし

【歴史】
築城は天文年間(1532年 ~1554年)に大友氏の武将・高橋鑑種と伝えられ、立花城と共に大友家の筑前支配の拠点であった。しかし、高橋鑑種は主君・大友宗麟の傲慢な振る舞いに憤り、反旗を翻したために城を逐われ、大友家の宿老吉弘鑑理の二男鎮種が高橋氏の名跡を継いで「高橋鎮種」と名乗り宝満・岩屋の両城主となった。天正13年(1585年)、立花城主の立花道雪の死去後、長男統虎が道雪の養子として立花城主となり、次男の統増が高橋家の本城である宝満城に入城し、一族三人で大友家の筑前での拠点防衛に就く。天正14年(1586年)7月13日、筑前一帯を平定し、関白秀吉の九州襲来を阻まんとする島津氏が総勢2万にも及ぶ大軍で攻め寄せ、大宰府政庁跡の東隣にある観世音寺に陣を設けた。紹運(高橋鎮種の出家後の名)は七百余名と共に篭城。2週間の間頑強に抵抗したものの、各出城や砦が次々と陥落、虚空蔵砦を守備する福田民部少輔も討死するに及んだ。また、城主紹運も自ら薙刀を取り敵中に入ったが力尽き、敵陣に矢止めを乞うたのち高櫓の上に登り自害。残された将兵もあとを追い玉砕、天正14年7月27日落城。紹運が高櫓の扉に書き残したとされる辞世の歌は、「屍をば岩屋の苔に埋みてぞ 雲居の空に名をとどむべき」城跡から道を隔てた南西側に高橋紹運の墓がある。
引用:wikipedia 岩屋城 (筑前国)

◇登城口

◇本丸

◇本丸

◇岩屋城跡石碑

◇高橋紹運の墓


♢岩屋城跡へのアクセス

大野城(筑前国)

♢城郭情報
所在地:福岡県太宰府市・大野城市・糟屋郡宇美町
別名:なし
築城主:天智天皇
築城年:665年(天智天皇4年)
廃城年:不明
主な城主:防人司
遺構:土塁・石塁・水門・城門・建物跡・水溜め
再建造物:石碑、説明板
指定文化財:国特別史跡(大野城跡)
訪城日:2023年5月2日(火)晴
駐車場:四王寺焼米ヶ原駐車場
日本100名城:86番
スタンプ設置場所:①福岡県立四王寺県民の森②太宰府市文化ふれあい館③太宰府展示館④大野城心のふるさと館 3階ふるさとラボ カウンター

※スタンプ設置場所や営業時間に変更があることもあります。必ず最新の情報をチェックしてから行くことをおすすめします。

【歴史】
大野城は、大宰府政庁跡の北側背後に聳える、標高410メートルの四王寺山(大城山)に所在する。山頂を中心に馬蹄形状の尾根から谷を廻る土塁と石塁の外周城壁は、約6.8キロメートルである。そして、南側と北側の土塁が二重となり(城壁総長は8.4km)防備を固める。城域は東西約1.5キロメートル×南北約3キロメートルの、日本一の大規模な古代山城である。城門は太宰府口城門など9か所が開く。また、谷部では、浸透式で自然排水の百間石垣・水ノ手石垣などに加え、水口のある屯水石垣などが確認されている。大野城市の名称はこの大野城に由来する。
引用:wikipedia 大野城 (筑前国)

◇北石垣への階段

◇北石垣



◇百間石垣



◇百間石垣説明板

◇四王寺県民の森にある宇美口城門礎石

◇宇美口城門礎石説明板

◇眺望

◇焼米ヶ原

◇焼米ヶ原

◇太宰府口城門跡

◇中央に城門礎石

◇太宰府口城門跡石垣

◇太宰府口城門跡

◇太宰府口城門跡説明板

◇増長天地区倉庫群

◇増長天地区倉庫群石垣

◇増長天地区倉庫群説明板

◇鏡ヶ池

◇馬責め

◇馬責め説明板



◇大石垣

◇大石垣


♢大野城跡へのアクセス

小倉城跡

♢城郭情報
所在地:福岡県北九州市小倉北区
別名:勝山城、指月城
築城主:毛利勝信
築城年:1569年(永禄12年)
廃城年:1866年(慶応2年)
主な城主:細川氏、 小笠原氏
遺構:石垣、堀、総構(含障子堀)
再建造物:天守、模擬櫓、庭園
指定文化財:なし
訪城日:2023年5月1日(月)晴
駐車場:和布刈第1展望台
続日本100名城:181番
スタンプ設置場所:小倉城天守閣入口横
御城印販売場所:城テラス(来城記念版)、小倉城受付(登城記念版)

※スタンプ設置場所に変更があることもあります。必ず最新の情報をチェックしてから行くことをおすすめします。

◇小倉城HP


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◇水堀

◇水堀



◇八坂神社社殿

◇八坂神社由緒

◇北口門跡

◇多門口門跡

◇着見櫓

◇佐々木小次郎(左)と宮本武蔵(右)

◇天守

◇槻門(けやきもん)跡

◇鉄門跡

◇西ノ口門跡

◇井戸跡

◇大手門跡



◇大手先門跡

◇天守

◇中津口門

◇小倉城と中津口門説明板

◇小倉城庭園(未訪問)説明板

◇小倉城虎ノ門口





◇内堀と着見櫓石垣




♢小倉城跡へのアクセス

門司城跡

♢城郭情報
所在地:福岡県北九州市門司区大字門司字古城山
別名:門司関山城、亀城
築城主: 紀井通資
築城年:元暦2年(1185年)
廃城年:元和3年(1617年)
主な城主:門司氏、大内氏、大友氏、毛利氏、細川氏
遺構:石垣、曲輪
再建造物:なし
指定文化財:なし
訪城日:2023年5月1日(月)晴
駐車場:和布刈第1展望台

【歴史】
『豊前志』などの記述によれば、1185年(元暦2年)に平知盛が家臣の紀井通資に命じて築いたという。1255年(建長7年)に藤原親房が豊前代官職として入城し、門司氏(もんじし)を名乗るようになった。南北朝時代には当城の門司親尚らが北朝、猿喰城の門司親頼が南朝に付いて門司氏は分裂している。戦国時代には当城をめぐる攻防が続き、1430年(永享2年)に秋月春種と原田信朝が大内氏を攻めて当城を落とした。その後、大内氏の城として存続するも、1551年(天文19年)の大寧寺の変の後、厳島の戦い、防長経略を経て、毛利氏と大友氏の不可侵条約の条件として豊前国は大友領となり、門司城は大友氏の城となった。しかし、毛利氏は1558年(永禄元年)に小早川隆景を大将として門司城を攻撃。城を奪取し、仁保隆慰を城代とした。
1561年(永禄4年)には戸次鑑連、田原親堅、臼杵鑑速ら大友義鎮の軍勢・数万人が門司城を攻めた(門司城の戦い)が、毛利氏はこれを撃退している。この敗戦を契機に大友義鎮は出家して宗麟と号し、将軍足利義輝を仲介しての和睦交渉を進め、1564年(永禄7年)7月に尼子氏との戦いが激化た毛利氏との和睦が成立し、門司城は引き続き毛利氏の勢力下となった。
1600年(慶長5年)に細川忠興が豊前国に入ると、城を修築して長岡勘解由を城代におき、1617年(元和3年)に廃城となった。
引用元:Wikipedia「門司城」

♢登城口

◇門司城跡の説明板

◇本丸跡

◇本丸にある砲台の土台

◇本丸からの眺望





◇弾薬倉庫

◇壇ノ浦合戦絵巻

◇源平壇之浦合戦について


壇ノ浦古戦場
◇源義経

◇平知盛

◇日本史の節目を刻む関門海峡

◇源義経像・平知盛像と関門橋

◇長州砲

◇長州砲の説明板



♢門司城跡へのアクセス

勝山御殿跡

♢城郭情報
所在地:山口県下関市田倉
別名:なし
築城主:毛利元周
築城年:文久3年(1864年)
廃城年:明治7年(1874年)
主な城主:長府毛利氏
遺構:石垣
再建造物:なし
指定文化財:国の史跡「勝山御殿跡」
訪城日:2023年5月1日(月)晴
駐車場:勝山御殿駐車場

【歴史】
文久3年(1863年)長州藩が攘夷を決行し、関門海峡の外国船に砲撃を開始。長府藩主・毛利元周は、外国船の報復攻撃に備えて、海岸に近い串崎城麓の藩邸を離れ、覚苑寺に仮住まいします。そして、わずか5か月で急造した藩邸が勝山御殿です。元治元年(1864年)2月に入城し、明治に入って知藩事が長府に再移住したのち、暫くは豊浦藩庁(廃藩置県後は豊浦県庁)とされた後、明治六年(1873年)に解体された。解体の際、建材の一部は移築され、長府の覚苑寺の庫裏・客殿となった。


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◇本丸表

◇勝山御殿の説明板

◇本丸裏



◇勝山地区公園案内図


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♢勝山御殿跡へのアクセス
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