所在地:青森県八戸市根城
別名:柏葉城
築城年:建武元年(1334年)
築城主:南部師行
廃城年:寛永4年(1627年)
主な城主:根城南部氏
遺構:土塁、堀、井戸
再建造物:主殿、中馬屋、工房、鍛冶工房、板倉、納屋、東門
指定文化財:国指定史跡
訪城日:2022年8月7日(日)晴
駐車場:根城跡駐車場
日本100名城:No5
スタンプ設置場所:八戸市博物館
※※スタンプ設置場所に変更があることもあります。必ず最新の情報をチェックしてから行くことをおすすめします。

根城HP


【歴史】
1333年(元弘3年、正慶2年) 南朝方に属する武将・北畠顕家は陸奥国司として後醍醐天皇の皇子・義良親王を奉じて陸奥国に下向した。この時、甲斐国波木井の地頭職であった南部師行も供奉し、国代として任じられた。1334年(建武元年) 師行は、糠部郡八森に城を構えた。師行はここを、南朝方の根本となる城という願いから「根城」と名付けたといわれる。師行は大光寺合戦などで戦功を立て津軽地方にも勢力を伸長した。1338年(南朝:延元3年、北朝:暦応元年) 南部師行は北畠顕家とともに足利尊氏討伐に遠征した。師行は和泉国の地で北朝方の高師直との戦いで顕家と共に戦死した。師行の死後、弟の政長が跡を継いだ。1627年(寛永4年) 八戸氏22代・直義は利直により遠野城(岩手県遠野市)に移封となり根城は廃城となった。政長は室町幕府から再三の降伏勧告を受けたが従わず南朝への忠誠を守り続けた。しかし、南朝方が次第に劣勢となると、京から遠く離れた奥州北部の南部氏の勢力も次第に弱体化していった。1393年(明徳4年) 南部氏8代の八戸政光は本領の甲斐から根城に移って南部氏の再興を図った。この系統は八戸氏とも呼ばれている。その後も周囲での小競り合いが絶えず不安定な時代が続いた。そして、同族である三戸南部氏が次第に有力になる。1627年(寛永4年) 八戸氏22代・直義は遠野城に移封となり根城は廃城となった。


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◆旧八戸城東門
この門は元は八戸城東門で、安政6年(1857年)に大風のため倒れ家臣の木幡氏の門として建て替えられた。伝承によれば、もともと根城にあった門を八戸城に移したといわれている。

◆堀跡

◆堀跡

◆薬草園

◆説明版

◆東善寺跡

◆東善寺跡

◆通路跡





◆堀跡

◆堀跡

◆説明版

◆中館跡









◆北門

◆東門

◆本丸跡案内板
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◆納屋



◆主殿



◆井戸跡

◆上馬屋



◆中馬屋







◆井戸跡

◆下馬屋跡

◆物見

◆一葉一字供養塔

◆番所

◆祭壇跡?

◆西門

◆工房





◆常御殿

◆野鍛冶場



◆鍛冶工房





◆井戸跡

◆奥御殿

◆板蔵





◆納屋




♢根城跡へのアクセス