♢城郭情報
所在地:愛知県名古屋市中川区前田西町1(前田速念寺)
別名:なし
築城主:不明
築城年:不明
廃城年:不明
主な城主:前田種利ー長定ー長種か
遺構:なし
再建造物:なし
指定文化財:未指定
訪城日:2023年11月24日(金)晴
駐車場:前田速念寺参詣者用駐車場

【歴史】
築城年代や築城主などは定かではありません。代々の当主は与十郎を称した。与十郎家は、前田城、下之一色城を有し、前田利家の本家筋にあたるといわれています。城は東西一丁余・南北二丁余とされています。城主前田佐十郎長親(種利、重利とも)は織田信秀(信長の父)に仕え「一柳庄」を領していました。寺伝では、利家はこの地で生まれ荒子に移ったとされています。子の長定は、天文13年(1544年)には、荒子城も有しており、林秀貞、林通具の与力として織田家に仕えた。
弘治2年(1556年)、稲生の戦いにおいて林通具が討死すると、織田信長により荒子城一帯の領地は没収され前田利春(別名利昌)に与えられた。1584年(天正12年)の「小牧長久手の合戦」の際には「蟹江の戦い」の舞台となり、織田・徳川連合軍に攻められ落城しました。

◇前田速念寺の由来
速念寺は、加賀百万石の太守前田利家公寄進になる阿弥陀如来を本尊としている。ここはもと海東郡前田村と言い、前田城があり、前田氏発祥の地である。利家公も前田で生まれ、幼少にして前田城の出城、新設の荒子城に移って成長したとするのが寺伝である。前田氏は菅原道真公を祖と仰ぎ、梅鉢の紋を用いる。前田氏は織田信長に属し、西に蟹江城、東に荒子城、南に一色城、等を支配し、前田城はその中心であった。前田城は、天正十二年(1584)長久手の合戦ののち、秀吉方についたため、家康方の攻撃を受け落城、城主与十郎は蟹江で討死、その子長種は北陸にのがれて利家に仕え、一万石(のち二万石)を得た。利家の長女幸を妻とした。利家の叔父前田利則は、出家して意休と号し、浄土宗速念寺初代となり、速念寺は前田氏の鎮魂の寺となった。境内には、前田家古墳や最後の城主与十郎の墓がある。また明治に建立された利家公の記念碑や、中部石川県人会のシンボル碑がある。『前田城跡案内板』より
















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