♢城跡へのアクセス
所在地:清須市朝日城屋敷1番地1
別名:清須城
築城主:斯波義重
築城年:応永12年(1405年)
廃城年:慶長15年(1610年)
主な城主:斯波氏、織田氏、豊臣氏、福島氏、尾張徳川家
遺構:移築現存櫓(名古屋城)、土塁
再建造物:模擬天守
指定文化財:なし
訪城日:2023年11月24日(金)晴
駐車場:清州公園駐車場、清洲城駐車場P1
御城印販売場所:清洲ふるさとのやかた売店

【歴史】
応永12年(1405年)、尾張・遠江・越前守護の管領斯波義重によって築城された。当初は、尾張守護所である下津城の別郭として建てられたが、文明8年(1476年)に守護代織田家の内紛により下津城が焼失し、文明10年(1478年)に守護所が清洲城に移転することで尾張国の中心地となった。一時期、織田弾正忠家の当主織田信秀が清須奉行として居城した以外は常に清洲織田氏の居城としてあり、尾張下四郡を支配する守護代織田家の本城として機能した。織田信秀が古渡城に拠点を移すと守護代織田信友が入城したが、弘治元年(1555年)織田信長と結んだ織田信光によって信友が殺害され、以降信長が那古野城から移って大改修を加えた後、本拠として居城した。信長は、この城から桶狭間の戦いに出陣するなど、約10年間清須を居城とした。1562年(永禄5年)には信長と徳川家康との間で同盟がこの城で結ばれた(清洲同盟)。永禄6年(1563年)には美濃国斎藤氏との戦に備えて小牧山城に移り、以後は番城となった。天正10年(1582年)の本能寺の変で信長が斃れると、清洲城にて清洲会議が行われ、城主は、織田信信雄となり、羽柴秀吉に対抗するため大天守・小天守・書院などの築造し堀も三重となった。その後、豊臣秀次、福島正正則、松平忠吉、徳川義直と変わったが、、慶長15年(1610年)より清須城下町は名古屋城下に移転された(清洲越し)。慶長18年(1613年)名古屋城の完成と城下町の移転が完了したことにより廃城となった。

◇清洲城跡顕彰碑

◇右大臣織田信長公古城跡碑

◇織田信長公を祠る小社

◇清州城の概要



◇清洲城模擬天守と大手橋



◇清州城復元石垣

◇復元石垣の説明板

◇清州城模擬天守

◇清州城模擬天守

◇復元信長塀

◇熱田神宮の信長塀
永禄3年(1560年)織田信長が桶狭間出陣の際当神宮に願文を奏し大勝したので、そのお礼として奉納した塀である。土と石灰を油で練り固め、瓦を多数積み重ねている。三十三間堂の太閤塀、西宮神社の大練塀と並び、日本三大土塀の一つといわれている。

◇熱田神宮の信長塀

◇織田信長公像

◇濃姫像

◇信長公と濃姫

◇信長公桶狭間出陣の歌

◇信長公と濃姫




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