所在地:福井県三方郡美浜町佐柿
別名:佐柿国吉城
築城年:1556年(弘治2年)
築城主: 常国国吉のちに粟屋勝久
廃城年:寛永11年(1635年)
主な城主:粟屋勝久、木村定光、浅野氏、多賀越中
遺構:曲輪、土塁、石垣、空堀、堀切、館跡
指定文化財:町指定史跡
訪城日:2020年8月8日(土)
駐車場:無料駐車場あり
続日本100名城 №139
スタンプ設置場所:若狭国吉城歴史資料館受付

♢歴史
越前国と若狭国の国境である関峠を過ぎ、若狭国に入り、旧丹後街道を進んでいくと、北は天王山、南は御岳山(おたけやま)に挟まれた椿峠がある。越前から若狭に深く侵入するには、この椿峠を必ず通過する必要があるが、国吉城はまさにその軍事上の要所を抑える位置にあり、御岳山の北西尾根端の通称「城山」(標高197.3メートル)に築かれている。

もとは、常国国吉(つねくに くによし)が築いたもので、その城跡を利用して1556年(弘治2年)に粟屋勝久が改修し、築城したと言われる。勝久は1563年(永禄6年)から1569年(永禄12年)の間、毎年のように攻め寄せる越前朝倉氏の軍勢と幾度となく戦って「難攻不落」を誇りました。朝倉氏との激しい戦いの様子は、江戸時代に記された軍記『国吉籠城記』によって知ることが出来ます。

元亀元年(1570)4月、朝倉攻めに向かう織田信長の軍勢に加わり、後に天下統一を果たす三英傑(信長、豊臣秀吉、徳川家康)が揃って入城し、国吉城から最初の越前攻めに向かいました。
天正11年(1583)、豊臣秀吉の家臣、木村常陸介定光が城主となり、国吉城を石垣造りの城に改修したほか、城下町の整備を行い、今に残る佐柿の歴史的町並みの基礎を造りました。江戸時代初めに城が廃城となって以降は、佐柿町奉行所が置かれ、佐柿城下は丹後街道の宿場として繁栄しました。幕末には、敦賀で処刑された水戸浪士の生き残りが収容されました(准藩士屋敷)。




■国吉城石碑

■佐柿奉行所跡

■佐柿町奉行所跡案内板

■居館跡正面虎口

■居館跡正面虎口案内板

■城主居館跡最下段石垣
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■城主居館跡最下段石垣

■城主居館跡最下段石垣案内板

■城主居館跡

■城主居館跡

■城主居館跡案内板

■居館跡礎石建物群

■礎石建物群

■礎石建物群案内板

■登城口(フェンスにはクマ出没注意とあります)

■左手前に土塁、奥に伝二の丸(出丸)の食い違い虎口

■二の丸虎口
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■二の丸跡(出丸)

■本丸下帯曲輪段石垣

■本丸下帯曲輪段石垣案内板

■本丸下北側堀切

■本丸下北側堀切案内板

■連郭曲輪群

■曲輪

■景観



■本丸北西虎口

■石垣

■本丸

■本丸にある城跡石碑と案内板

■本丸からの景観

■土塁

■本丸南隅櫓台

■本丸南隅櫓台案内板

■本丸東側虎口

■本丸東側虎口案内板

■土塁

■石組み溝


♢国吉城跡へのアクセス