所在地:京都府京都市北区紫野北舟岡町
別名:船崗山城、山名城
築城年:応仁元年(1467年)
築城主:大内政弘
廃城年:不明
主な城主:大内氏、山名氏、細川氏
遺構:曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建造物:石碑、説明板(船岡山)
指定文化財:国指定史跡(船岡山)
訪城日:2020年9月21日(月)
駐車場:周辺の有料駐車場

♢歴史
船岡山城は、応仁元年(1467年)に始まる応仁の乱の西軍の城として船岡山に築造された。備前国守護の山名教之や丹後国守護の一色義直らが籠り翌年、東軍によって落城し、その後は東西両軍とも利用しなかったため、廃城となった。臨戦用の陣城と推定されており、恒久的な城郭施設の存在は不明である。遺構としては山腹に横堀が掘られており、堀の外側土塁が積みあがっている。また山頂部にはかなり広い削平面が確認でき、典型的な中世の山城であった。永正8年(1511年)には、細川政賢と大内義興の間で繰り広げられた有名な船岡山合戦が行われた。
『日本城郭大系(第11巻、京都・滋賀・福井)』(1980、新人物往来社)参照

■船岡山山頂(主郭?)

■船岡山山頂の景観

■主郭北斜面には東西に横堀が塹壕状態に掘られている(未確認)

■大文字(山頂は如意ヶ嶽城跡)

■織田信長公を祀った建勲神社

■信長公が舞った『敦盛』の一説の石板

■建勲神社

■永正の船岡山合戦
永正8年、足利義稙を擁立する細川高国・大内義興と前将軍足利義澄を擁立する細川澄元との間で起きた、幕府の政権と細川氏の家督をめぐる戦い

■船岡山合戦石碑


♢船岡山城跡へのアクセス