所在地:新潟県新発田市大手町6丁目4
別名:浮舟城、菖蒲城・舟形城、狐尾曳ノ城
築城主:新発田氏
築城年:不明
廃城年:1873年(明治6年)
主な城主:新発田氏、溝口氏
遺構:櫓・長屋、門、石垣、土塁、堀
再建造物:三階櫓、辰巳櫓
指定文化財:国重要文化財(表門、二の丸隅櫓)
訪城日:2022年8月11日(水)晴
駐車場:新発田城址公園駐車場
日本100名城:No31
スタンプ設置場所:新発田城辰巳櫓内(12月〜3月は市立図書館)
※スタンプ設置場所に変更があることもあります。必ず最新の情報をチェックしてから行くことをおすすめします。

【歴史】
新発田城の築城年代は不明ですが、鎌倉時代初期に幕府設立に戦功のあった佐々木盛綱の傍系である新発田氏による築城と考えられている。代々新発田氏の居城となっていたが、天正9年(1581年)、新発田重家が上杉景勝に対して反乱を起こした(新発田重家の乱)。天正15年(1587年)、豊臣秀吉の支援を受けた景勝は、新発田勢の諸城を攻略し、ついに新発田城は落城、新発田重家は自刃した。新発田重家の乱の鎮圧後、新発田城には宮島三河守が城代として入城したが、その後上杉氏の会津転封に伴い、慶長2年(1597年)、溝口秀勝が6万石の所領を得て新発田に入封。新発田藩領内を治めるための拠点として新発田重家の旧城の地を選び、新発田城の築城を行っていった。城が完全な形となったのは承応3年(1654年)頃、3代宣直の時代といわれる。その後寛文8年(1688年)、享保4年(1719年)に火災によって城内建築に大きな被害を受けるが、その度に再建されている。明治6年(1873)に廃城令によりほとんどの施設が破却された。



◆巽櫓(復元)

◆堀部安兵衛武庸像











◆旧二ノ丸隅櫓



◆新発田城概要

◆本丸表門

◆初代藩主溝口秀勝公像

◆旧本丸跡

◆旧本丸跡

◆巽櫓

◆巽櫓の説明板

◆新発田城模型

◆巽櫓模型

◆旧二の丸隅櫓

◆旧二ノ丸隅櫓の説明板



◆本丸三階櫓(自衛隊敷地にあるため、内部には入れない)


♢新発田城へのアクセス