所在地:山形県山形市霞城町1
別名:霞城、霞ヶ城、吉字城
築城主:斯波兼頼
築城年:1356年(南朝:正平12年、北朝:延文2年)
廃城年:1871年(明治4年)
主な城主:最上氏、鳥居氏、堀田氏、秋元氏他
遺構:石垣、堀、移築門、移築御殿
再建造物:二の丸東大手門、大手橋
指定文化財:国指定史跡
訪城日:2022年8月11日(水)晴
駐車場:霞城公園駐車場
日本100名城:No10
スタンプ設置場所:二ノ丸東大手門櫓
スタンプ設置場所に変更があることもあります。必ず最新の情報をチェックしてから行くことをおすすめします。

国指定史跡 山形城 - 山形市


【歴史】
1356年(延文元年)に斯波兼頼が羽州探題として山形に入部し、1537年(延文2年)初期の山形城が築城される。以後、出羽斯波氏は最上氏を名乗り、最上氏本宗家の居城となった。最上義光が、慶長年間に城郭を拡大し最上義光が、慶長年間に城郭を拡大し三の丸を構築、家臣団の屋敷が置かれた。さらに城下町を整備し、慶長出羽合戦で得た出羽57万石の本城となる。元和8年(1622年)に最上氏が改易された後、鳥居忠政により改修がなされた。鳥居氏以後もたびたび藩主家の変更があったが、格式・規模が次第に低下したため、江戸中期以降は城の維持が困難になった。幕末には御殿は二の丸に置かれ、本丸は更地で、三の丸の西半分は田畑になっていた。1871年(明治4年)廃城となり1875年(明治8年)建物は解体された



◆北側の堀

◆二の丸北門跡

◆二の丸







◆最上義光公勇戦の像

◆最上義光公勇戦の像の説明板

◆二の丸東大手門 櫓門(復元)

◆二の丸東大手門 櫓門(復元)

◆堀
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◆二の丸東大手門(復元)
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◆二の丸東大手門(復元)の説明板





◆巽櫓跡

◆巽櫓跡の説明板

◆横矢

◆横矢の説明板

◆塀礎石(土塁上に立てられた塀の基礎石)

◆二の丸南大手門跡

◆二の丸南大手門跡

◆二の丸南大手門跡の説明板
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◆南側の堀
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◆雁木(南大手門)
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◆雁木の説明板

◆坤櫓跡

◆坤櫓跡の説明板



◆西側の堀

◆二の丸西不明門跡

◆二の丸西不明門跡


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◆石垣崩落跡

◆石垣崩落跡の説明板

◆一文字大手橋

◆本丸一文字門

◆本丸一文字門の説明板

◆石垣と堀

◆本丸御殿跡(現在復元整備中みたい)

◆井戸跡?





◆復元完成図


♢山形城へのアクセス