所在地:宮城県仙台市青葉区川内1
別名:青葉城、五城楼
築城主:伊達政宗
築城年:1601年(慶長6年)
廃城年:1871年(明治4年)
主な城主:伊達氏
遺構:石垣、土塁、堀
再建造物:脇櫓
指定文化財:国指定史跡
訪城日:2022年8月10日(火)晴
駐車場:青葉城有料駐車場
日本100名城:No8
スタンプ設置場所:仙台城見聞館 9時~17時
※スタンプ設置場所に変更があることもあります。必ず最新の情報をチェックしてから行くことをおすすめします。

青葉城 本丸会館



【歴史】
仙台城は、文禄元年(1592年)まで、旧領主国分盛重の居城であった。築城の経緯については明らかでなく、盛重は、慶長元年(1596年)か慶長4年(1599年)に伊達家を出奔したため千代城は廃城になったと思われます。伊達政宗は、関ヶ原の戦いの後、徳川家康の許しを得て千代に居城を移すことにした。1600年(慶長5年)政宗は築城を開始。地名を仙台と改めた。仙台城は通称「青葉城」ともよばれ、仙台平野を見下ろす天険の地青葉山に築かれ、標高は高いところで131.4m、東は広瀬川に落ちる64mの断崖、南は80mの深さの竜ノ口狭谷が固める天然の要害で、将軍家康の警戒を避けるために、 あえて天守閣は設けなかったといわれています。慶長7年(1602年)には一応の完成をみたとされています。政宗の死後、二代藩主忠宗(ただむね)は山麓部に二の丸を造営しました。二の丸が完成した寛永16年(1639年)以降は、幕末まで二の丸が藩政の中心となりました。明治4年(1871年)廃藩置県により廃城しました。

◆大手門脇櫓





◆二の丸跡

◆二の丸跡の説明板

◆宮城縣護國神社



◆宮城縣護國神社大鳥居

◆本丸跡地に建つ宮城縣護國神社拝殿



◆仙台城大広間跡








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◆本丸北壁の石垣モデル

◆本丸北壁の石垣モデル

◆本丸北壁の石垣モデル説明板

◆大広間模型

◆工事中の伊達政宗騎馬公像

◆展望台からの眺望
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◆御成門跡

◆詰門跡

◆本丸石垣

◆沢門跡

◆埋門跡


♢仙台城へのアクセス