♢城郭情報
所在地:栃木県宇都宮市竹下町380−1
別名:なし
築城主:芳賀高俊
築城年:永仁年間(1293年~1298年)
廃城年:1590年(天正18年)以降
主な城主:芳賀氏(清原氏)
主な改修者:本多正純
遺構:土塁、空堀
再建造物:なし
指定文化財:国指定史跡
訪城日:2024年5月1日(水)曇
駐車場:飛山城史跡公園駐車場
御城印販売:とびやま歴史体験館




【歴史】
山城は鎌倉時代後期にあたる永仁年間(1293年~1298年)に宇都宮景綱の家臣・芳賀高俊によって築かれたといわれている。

芳賀氏は、益子氏とともに紀清両党と呼ばれる宇都宮氏の有力な武士団であった。飛山城に居する間は清原氏を名乗ったと言われており、この清原姓が後の現宇都宮市東部の地名『清原』となったと考えられているが、不詳である。上野国・越後国の守護代に任じられるなど隆盛したが、南北朝期には戦乱に巻き込まれ、南朝に攻め込まれ落城したこともあった。

戦国時代になると芳賀氏も関東平野の覇権争いに例外なく巻き込まれた。弘治3年(1557年)には宇都宮氏や芳賀氏を支援した常陸国の佐竹義昭による宇都宮城奪回作戦(その時期の宇都宮城は壬生城主・壬生綱雄が占領していた)の最前線基地となっている。

天正18年(1590年)、関東の後北条氏を滅亡させた豊臣秀吉は、宇都宮城に入城し、関東の支配体制を決定する宇都宮仕置を行う。そこで秀吉は宇都宮氏18万5千石の所領安堵を裁決した一方で、「佐竹・宇都宮ならびに家来のものども、多賀谷・水谷」に対して「いらざる城は破却せよ」との命令を発している。そのため、飛山城も「城破り」の対象として破却され廃城となった。



◇大手口木橋

◇大手口木橋の説明板









◇枡形

◇枡形の説明板

◇土橋?

◇空堀

◇空堀

◇門跡

◇門跡の説明板

◇管理土橋

◇管理土橋の説明板

◇中世竪穴建物



◇溝跡(中央の道)

◇土橋

◇土橋の説明板

◇土塁・堀(内堀)

◇土塁・堀(内堀)

◇土塁・堀(内堀)

◇土橋5号堀

◇土橋5号堀説明板

◇物見櫓跡
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◇土塁・堀(外堀)

◇4号堀

◇4号堀の説明板

◇掘立柱建物

◇掘立柱建物の説明板

◇石積遺構

◇石積遺構の説明板

◇2号堀

◇2号堀の説明板

◇木橋

◇木橋の説明板



◇1号堀

◇1号堀の説明板

◇眺望






♢飛山城跡へのアクセス