♢城郭情報
所在地:栃木県真岡市台町321
別名:芳賀城、舞か丘城
築城主:芳賀高貞
築城年:1362年(貞治元年)
廃城年:1597年(慶長2年)
主な城主:芳賀氏
主な改修者:芳賀高継
遺構:腰曲輪、土塁
再建造物:なし
指定文化財:なし
訪城日:2024年5月1日(水)曇
駐車場:なし
【歴史】
真岡城の起源には諸説あるが、鎌倉時代末期の貞治元年(1362年)に芳賀高貞が築城して御前城から移転し、戦国時代の天正5年(1577年)になって、芳賀高継が北条氏の侵攻に備えて堅固な城郭としたとの説が有力とされる。
1597年(慶長2年)に宇都宮氏が豊臣秀吉によって改易されると同時に廃城となった。江戸時代には遺構の一部が徳川幕府の代官所として利用された。
真岡城は、城の周囲には五行川や行屋川が流れ、またこれら河川から水を引いた水濠があったという。郭は南北に並ぶように4つ設けられ、最南端に大手門があり南から順番に四の郭、三の郭、二の郭、本郭と連なり各郭間には空堀があった。各郭の周囲には腰曲輪があり、本郭と二の郭の間に搦手門があったといわれる。
◇真岡陣屋跡
◇陣屋跡にある本城稲荷神社
◇
◇
◇
◇真岡城跡
◇真岡城跡
◇真岡城跡
◇真岡城跡
◇真岡城について
◇石垣
◇土塁
◇高札場
◇
◇庭園?
◇真岡城と高札場の説明板
♢真岡城跡へのアクセス
所在地:栃木県真岡市台町321
別名:芳賀城、舞か丘城
築城主:芳賀高貞
築城年:1362年(貞治元年)
廃城年:1597年(慶長2年)
主な城主:芳賀氏
主な改修者:芳賀高継
遺構:腰曲輪、土塁
再建造物:なし
指定文化財:なし
訪城日:2024年5月1日(水)曇
駐車場:なし
【歴史】
真岡城の起源には諸説あるが、鎌倉時代末期の貞治元年(1362年)に芳賀高貞が築城して御前城から移転し、戦国時代の天正5年(1577年)になって、芳賀高継が北条氏の侵攻に備えて堅固な城郭としたとの説が有力とされる。
1597年(慶長2年)に宇都宮氏が豊臣秀吉によって改易されると同時に廃城となった。江戸時代には遺構の一部が徳川幕府の代官所として利用された。
真岡城は、城の周囲には五行川や行屋川が流れ、またこれら河川から水を引いた水濠があったという。郭は南北に並ぶように4つ設けられ、最南端に大手門があり南から順番に四の郭、三の郭、二の郭、本郭と連なり各郭間には空堀があった。各郭の周囲には腰曲輪があり、本郭と二の郭の間に搦手門があったといわれる。
◇真岡陣屋跡
◇陣屋跡にある本城稲荷神社
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◇真岡城跡
◇真岡城跡
◇真岡城跡
◇真岡城跡
◇真岡城について
◇石垣
◇土塁
◇高札場
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◇庭園?
◇真岡城と高札場の説明板
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