♢城郭情報
所在地:栃木県小山市城山町1丁目1
別名:祇園城、小山城
築城主:小山政光
築城年:1148年(久安4年)
廃城年:1619年(元和5年)
主な城主:小山氏、北条氏、本多正純
遺構:曲輪、空堀、土塁、馬出し
再建造物:なし
指定文化財:国指定史跡
訪城日:2024年5月1日(水)曇のち雨
駐車場:城山公園駐車場

【歴史】
小山城は、1148年(久安4年)に小山政光によって築かれたとの伝承がある。小山氏は武蔵国に本領を有し藤原秀郷の後裔と称した太田氏の出自で、政光がはじめて下野国小山に移住して小山氏を名乗った。

小山城は中久喜城、鷲城とならび、鎌倉時代に下野国守護を務めた小山氏の主要な居城であった。当初は鷲城の支城であったが、南北朝時代に小山泰朝が居城として以来、小山氏代々の本城となった。1380年(康暦2年)から1383年(永徳2年)にかけて起こった小山義政の乱では、小山方の拠点として文献資料に記された鷲城、岩壺城、新々城、祇園城、宿城のうち「祇園城」が小山城と考えられている。小山氏は義政の乱で鎌倉府により追討され断絶したが、同族の結城家から養子を迎えて再興した。

その後は、代々小山氏の居城であったが、天正4年(1576年)に小山秀綱が北条氏照に降伏して開城し北条氏照の手によって改修され[2]、北関東攻略の拠点となっているが、天正10年(1582年)5月18日になると、織田信長の惣無事令により、信長の家臣である滝川一益の仲介の下、北条氏照から祇園城を返還される。しかし、この和睦には北条氏への帰属が条件として含まれており、北条氏の家臣が小山に滞在するなど、以前のような権力を持つことはできなかった。

小田原征伐ののち、1602年(慶長12年)頃、本多正純が相模国玉縄より入封したが、正純は1619年(元和5年)に宇都宮へ移封となり、小山城は廃城となった。

明治時代には第二代衆議院議長であった星亨の別邸が建てられたが、現存してはおらず、発掘調査で礎石と思われるものが確認された。

別名である祇園城は小山氏の守護神である祇園社(現須賀神社)からとったものである。

◇空堀

◇本祇園曲輪跡

◇空堀

◇空堀

◇塚田曲輪跡

◇空堀

◇空堀

◇中曲輪跡(馬出し)

◇祇園橋(工事中のため先へは行けませんでした)

◇北久保跡

◇北久保跡

◇北久保跡


♢小山氏城跡へのアクセス