♢城郭情報
所在地:茨城県ひたちなか市足崎字館990
別名:多良崎要害、多良崎館
築城主:多良崎里幹
築城年:1330年頃
廃城年:1590年(天正18年)
主な城主:多良崎氏、江戸氏(足崎氏)
遺構:曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建造物:なし
指定文化財:市指定史跡
訪城日:2024年5月2日(木)晴
駐車場:なし
【歴史】
鎌倉時代末期の1330年頃に築城されたとされる。築城者は常陸大掾吉田太郎広幹の三男里幹、通称多良崎三郎とされ、この地で地頭をしていたが南北朝の騒乱で南朝に味方して没落し、次いで江戸通重の次男平沢通村の子孫、足立五郎左衛門通義、又五郎通定が城主となり、代々足崎氏を名乗った。しかし、天正18年(1590年)常陸統一を目指す佐竹氏に攻略され落城し、廃城となったとされる。
◇
◇多良崎城跡の案内板
◇一の戸跡
◇二の戸跡
◇大手門跡
◇
◇本郭
◇
◇二の郭
◇二の郭
◇
◇空堀
◇三の郭
◇
◇多良崎城跡付近の城館跡の説明板
◇のろし台跡
◇のろし台跡
♢多良崎城跡へのアクセス
所在地:茨城県ひたちなか市足崎字館990
別名:多良崎要害、多良崎館
築城主:多良崎里幹
築城年:1330年頃
廃城年:1590年(天正18年)
主な城主:多良崎氏、江戸氏(足崎氏)
遺構:曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建造物:なし
指定文化財:市指定史跡
訪城日:2024年5月2日(木)晴
駐車場:なし
【歴史】
鎌倉時代末期の1330年頃に築城されたとされる。築城者は常陸大掾吉田太郎広幹の三男里幹、通称多良崎三郎とされ、この地で地頭をしていたが南北朝の騒乱で南朝に味方して没落し、次いで江戸通重の次男平沢通村の子孫、足立五郎左衛門通義、又五郎通定が城主となり、代々足崎氏を名乗った。しかし、天正18年(1590年)常陸統一を目指す佐竹氏に攻略され落城し、廃城となったとされる。
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◇多良崎城跡の案内板
◇一の戸跡
◇二の戸跡
◇大手門跡
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◇本郭
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◇二の郭
◇二の郭
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◇空堀
◇三の郭
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◇多良崎城跡付近の城館跡の説明板
◇のろし台跡
◇のろし台跡
♢多良崎城跡へのアクセス