♢城郭情報
所在地:茨城県笠間市笠間3613
別名:桂城
築城主:笠間時朝
築城年:承久元年(1219年)
廃城年:明治4年(1868年)
主な城主:笠間氏、宇都宮氏、蒲生郷成、牧野氏
主な改修者:蒲生郷成
遺構:空堀、石垣、土塁、井戸、移築櫓、門
再建造物:なし
指定文化財:なし
訪城日:2024年5月2日(木)晴
駐車場:なし

続日本100名城:No112
続日本100名城スタンプ:かさま歴史交流館 井筒屋
御城印販売場所:かさま歴史交流館 井筒屋
※販売場所や営業時間等、必ず最新の情報を確認してから行くことをお勧めします。

【歴史】
笠間城は、宇都宮一族であり、この地域を治めた笠間時朝によって、承久元年(1219年)に築城が開始され、嘉禎元年(1235年)に完成したと伝えられています。その後笠間氏は18代にわたって笠間を治め、南北朝時代の5代笠間泰朝の時には、南朝に属して勤王の兵を挙げ、北朝の佐竹義春の攻撃を受けたが、籠城戦の末これを撃退している。

天正18年(1590年)の小田原征伐の際、18代笠間綱家が宗家の宇都宮氏に逆らい、同戦役後宇都宮氏に攻められ滅亡した(通説では笠間氏が後北条氏に組したために宇都宮氏に攻められたとされているが、笠間綱家が宇都宮氏に従って小田原征伐に参加した記録が存在するため、別の理由であると考えられている)。その後、一時宇都宮氏が支配した後蒲生郷成が入城し、この郷成の手により織豊系城郭に改修されたと考えられている。

慶長5年(1600年)関ヶ原の戦い後には松井松平家が入り、その後小笠原氏が入ったが改易されて、ついで戸田松平家が入り、そして永井氏が入った。その後、外様大名の浅野氏が2代、井上氏が2代、本庄氏が2代、再び井上氏が3代入った後、牧野貞通入城以後廃藩まで牧野氏8代が居城した。
明治3年(1871年)の廃藩置県、明治6年(1873年)の廃城令により廃城処分とされ、建物は取り壊された。

◇笠間城の説明板

◇笠間城主下屋敷跡

◇時鐘

◇時鐘の説明板







◇治功神社

◇千人溜り跡(的場丸)

◇駐車場

◇笠間城跡の説明板

◇石垣

◇大手門跡











◇本丸跡

◇本丸跡土塁

◇八幡台櫓跡
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◇八幡台櫓跡

◇本丸跡



◇石垣





◇天守曲輪に鎮座する佐志能神社


♢笠間城跡へのアクセス