♢城郭情報
所在地:千葉県佐倉市城内町
別名:鹿島城
築城主:鹿島親幹
築城年:天文年間(1532年~1555年)
廃城年:1873年(明治6年)
主な城主:鹿島親幹、千葉邦胤、土井利勝、堀田氏
主な改修者:千葉邦胤、土井利勝
遺構:堀、土塁
再建造物:なし
指定文化財:佐倉市指定史跡
訪城日:2024年5月2日(木)晴
駐車場:佐倉城址公園 第1駐車場(無料)

日本100名城:No20
スタンプ設置場所:佐倉城址公園管理センター
御城印販売場所:①国立歴史民俗博物館佐倉武家屋敷 旧河原家住宅
京成佐倉駅前観光案内所京成臼井駅前臼井ショッピングセンター
※販売場所や営業時間等、必ず最新の情報を確認してから行くことをお勧めします。

【歴史】
天文年間(1532年~1555年)本佐倉城主千葉親胤が大叔父にあたる鹿島幹胤に命じて築城を開始したが、親胤が暗殺されたために工事は中断、千葉邦胤の代にも工事が試みられたが邦胤の暗殺によって頓挫した。
1610年(慶長15年)に、徳川家康の命を受けた土井利勝によって築城が再開され、佐倉城が完成した。江戸時代は佐倉藩の藩庁が置かれた。城主は江戸幕府の要職に就くことが多く、更に初期は城主の入れ替わりが多く、江戸初期に城主であった堀田正信(後に改易されている)の弟・堀田正俊の孫・堀田正亮が11万石で再入封(後期堀田氏ともいう)してからは、安定した藩の経営を行っている。城郭は石垣を一切用いず、干拓以前の広大だった印旛沼を外堀の一部にし、三重櫓(御三階櫓)を天守の代用としている。明治維新後に廃城令により建物のほとんどが撤去された。

◇椎木曲輪(侍屋敷)

◇椎木曲輪(侍屋敷)

◇椎木曲輪(侍屋敷)の説明板

◇馬出し空濠

◇馬出し空濠の説明板







◇佐倉城の礎石

◇佐倉城の礎石の説明板

◇二の丸御殿(御番所、対面所)跡

◇二の丸御殿(御番所、対面所)跡

◇二の丸御殿(御番所、対面所)跡の説明板

◇帯曲輪跡

◇帯曲輪跡

◇帯曲輪跡の説明板

◇台所門跡(不明門)

◇本丸跡

◇角櫓跡(三階櫓)

◇天守跡(正面高台)



◇銅櫓跡

◇天守跡

◇本丸家形配置図

◇土塁

◇一の門跡

◇一の門跡の説明板



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