所在地:兵庫県豊岡市出石町内町
別名:高城
築城年:慶長9年(1604年)
築城主: 小出吉英
廃城年: 明治4年(1871年)
主な城主:小出氏、松平氏、仙石氏
遺構:曲輪、石垣、櫓、横堀
再建造物:門、橋、模擬櫓
指定文化財:市史跡
訪城日:2020年11月21日(日)晴
駐車場:大手前有料駐車場
(土日は出石総合支所南駐車場の方が安い)
続日本100名城: No162
スタンプ設置場所:出石観光センター
※スタンプ設置場所に変更があることもあります。必ず最新の情報をチェックしてから行くことをおすすめします。




♢歴史
1604年(慶長9年)小出吉英により有子山城の山上の丸および天守部分が廃され、有子山城山麓の郭および館のみを出石城と命名し幕府に居城として届けた。それにともない平地に、堀で囲まれた三の丸が築かれ、下郭、二の丸、本丸、稲荷丸が階段状に築かれた。城主の居館も成り、このとき城下町も整備され、出石の町並みが形成された。山上の旧有子山城天守は城割は行われなかったが幕府を憚り荒れるに任されたため樹木が生い茂り一見したところ山林となった。なお、一国一城令により、但馬守護山名氏以来の出石城が但馬国唯一の城郭となっている。

江戸時代は、出石藩の藩庁となり、小出英及が1696年(元禄9年)3歳で死去すると小出氏は無嗣改易となった。代わって松平(藤井)忠周が入城。1706年(宝永3年)忠周が転封となると、仙石政明が入城し、廃藩置県まで仙石氏の居城となった。江戸末期には仙石騒動がおこっている。

明治時代になり、廃城令で出石城も取り壊されたが、辰鼓楼、堀、石垣などが現存、また隅櫓、登城門・登城橋などが復元され、堀の周囲一帯は登城橋河川公園として整備されて、観光地となっている。
2017年(平成29年)4月6日、有子山城とともに続日本100名城(162番)に選定された。(出石城Wikiより)

■堀

■登城橋



■堀

■出石城登城門

■石垣

■石垣

■本丸東隅櫓

■石垣

■二の丸

■二の丸





■本丸跡

■本丸西隅櫓

■感応殿

■感応殿説明板

■本丸東隅櫓

■本丸跡

■石垣と排水溝
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■石垣と排水溝
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■稲荷神社
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■井戸跡

■景観

■出石城説明板

■三の丸

■三の丸

■辰鼓楼
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■出石城大手門跡

■山頂の有子山城跡

■豊岡市マスコットの玄武岩の玄さん


♢出石城跡へのアクセス