なんとなく城跡巡り2

主に近畿地方を中心にCBR400Rで城跡を巡っています

岡山県

富田松山城跡

♢城郭情報
所在地:岡山県備前市東片上
別名:なし
築城主:浦上氏
築城年:文明年間(1469〜1487年)
廃城年:天正5年(1577年)
主な城主:浦上氏
遺構:曲輪、土塁、堀切
再建造物:城跡碑、説明板
指定文化財:なし
訪城日:2023年3月19日(日)晴
駐車場:品川グランド駐車場

【歴史】
築城は、『備前軍記』に文明15年(1483年)の福岡合戦の記述の中に出くるので、その頃と思われる。三石城を拠点にしていた浦上氏によって、備前焼の出荷港である“片上港”を押さえるために築かれた城。享禄4年(1531年)、西播磨、備前東部を領して戦国大名となった浦上村宗が死ぬと、その遺領は三分され、村宗の三男浦上国秀が1532年から1554年頃まで城主となり、城を本格的城郭に改修した。ところがその後未詳で、『備陽記』によると永禄11年頃(1568年)は、浦上景行が城主だったようである。天正5年(1577年j)落城するまで景行だったと言われている。 本丸は、60m×38m四方あり、周りに高さ1m、幅2mの土塁に囲まれている。山頂本丸の西に二の丸、続いて大手曲輪、大手筋、犬走りとなっていて、山頂東に三の丸、搦手筋、堀切、東出丸となっている。『備前市HPより引用』

◆登山口

◆説明板

◆東出丸

◆景観

◆搦め手筋

◆堀切

◆大手曲輪

◆三の丸

◆土塁跡

◆本丸


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◆二の丸


♢富田松山城跡へのアクセス

狐塚城跡

♢城郭情報
所在地:備前市西片上
別名:伊部城
築城主:浦上宗景
築城年:文明16年(1484年)
廃城年:不明
主な城主:日笠源太
遺構:不明
再建造物:城跡碑
指定文化財:なし
訪城日:2023年3月19日(日)晴
駐車場:なし

【歴史】
文明16年(1484年)福岡の合戦の頃、西方の防備のために築かれたものと考えられている。永禄12年(1569年)に浦上宗景が城を築いて家臣の日笠源太を城将としたが、宇喜多直家の家臣花房助兵衛(花房職秀)に攻められ落城、日笠源太は討死したという。以後、天神山が落城するまで宇喜多の城番が居城し、伊部と片上の境の葛坂でたびたび小競り合いをしたようだ。

◆国道374号線沿いの入口にある公園

◆この先に広場、もっと進むと城跡があるようです。


※通りかかったときに城跡碑があることに気づき立ち寄りましたが、遠そうなので諦めました。
♢狐塚城跡へのアクセス

天瀬侍屋敷

所在地:岡山県和気郡和気町田土
別名:なし
築城主:浦上宗景
築城年:天文23年(1554年)
廃城年:天正3年(1575年)が有力
主な城主:浦上宗景
遺構:曲輪、土塁、石垣、空堀、侍屋敷跡
再建造物:城跡碑・説明板
指定文化財:岡山県指定史跡
訪城日:2023年3月19日(日)晴
駐車場:天石門別神社付近

【歴史】
天瀬侍屋敷は、上の壇・中の壇・下の段、西にぐるみの壇、土壘の壇と大きな壇が築かれており、天神山城の家臣団屋敷跡です。







◆くるみの段

◆中の段

◆中の段石垣

◆上の段

◆上の段

◆石垣

◆石垣


















♢天瀬侍屋敷跡へのアクセス
天石門別神社から旧片上鉄道跡のサイクリングロードを進むと案内板があります。

天神山城跡

所在地:岡山県和気郡和気町田土
別名:なし
築城主:浦上宗景
築城年:天文23年(1554年)
廃城年:天正3年(1575年)が有力
主な城主:浦上宗景
遺構:曲輪、土塁、石垣、空堀、侍屋敷跡
再建造物:城跡碑・説明板
指定文化財:岡山県指定史跡
訪城日:2023年3月19日(日)晴
駐車場:和気美しの森駐車場 天石門別神社付近

【歴史】
浦上氏は室町時代、播磨・備前・美作を治めた守護大名赤松氏の守護代であった。天文20年(1551年)、村宗の嫡男浦上政宗とその弟の浦上宗景は備前に侵攻してきた尼子晴久の対応について激しく対立。政宗は尼子と同盟を結び、一方、宗景は安芸の毛利元就と同盟し周辺国衆にも政宗方に属する者、宗景方に属する者がそれぞれ現れ備前の覇権を賭けて争う事になる。その際に宗景は自らの新たな拠点として天神山に城を築く。普請に取りかかったのは天文23年(1554年)これが長らく宗景が居城とする天神山城である。ここを拠点とした宗景は毛利の助力を得て各地で勝利を収め政宗の勢力を駆逐し備前の支配権を握る。永禄7年(1564年)兄の政宗は室津城において、二男・清宗の婚礼の当日、赤松政秀の攻撃に遭い父子ともに戦死。跡は政宗の三男の浦上誠宗が継いだが、3年後の永禄10年(1567年)に宗景の手の者によって暗殺され室津の浦上惣領家は滅び、その領地を接収してさらに勢力を強めた。天正元年(1573年)宗景は西国に勢力を伸長してきた織田信長と結び、備前・播磨・美作の支配権を認められた。しかし、次第に家中での勢力を拡大していた宇喜多直家は、これに反対し安芸の毛利氏と結んだ。天正2年(1574年)直家は遂に主君宗景に反旗を翻した。浦上政宗の三男誠宗の子で直家が岡山城に庇護していた浦上久松丸を奉じ、浦上宗家復興を名目に天神山城の宗景を攻めた(天神山城の戦い)。天正3年(1575年)家中で直家に内応するものもあり、遂に宗景は城を放棄し播磨へ遁走した。その後も宇喜多直家により、使用されていたと考えられていて、石垣や瓦片などは宇喜多時代の物と推定されている。


◆上の石門

◆下の石門





◆亀の甲

◆亀の甲

◆堀切

◆南櫓跡

◆南の段





◆馬屋の段

◆竪堀



◆飛騨の丸
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◆飛騨の丸石垣

◆飛騨の丸


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◆天津社

◆本丸

◆天神山城鳥瞰図

◆浦上遠江守宗景之城址碑

◆空堀

◆二の丸

◆長屋の段





◆桜の馬場

◆桜の馬場

◆大手門跡

◆鍛冶場跡

◆帯曲輪



◆三の丸





◆三の丸景観

◆西櫓台

◆下の段


♢天神山城跡へのアクセス

太鼓丸城跡

所在地:岡山県和気郡和気町田土
別名:天神山城
築城主:日笠氏
築城年:不明)
廃城年:天正3年(1575年)
主な城主:日笠氏、浦上宗景
遺構:石垣、土塁、郭、堀
再建造物:城跡碑・説明板
指定文化財:岡山県指定史跡
訪城日:2023年3月19日(日)晴
駐車場:和気美しの森駐車場

【歴史】
室町時代以前に、日笠青山城の出城として日笠氏が築城したもので、浦上宗景の享禄4年天神山出陣の足掛かりとなり、天文時代より太鼓櫓として物見台の役目と家臣団集合の合図をした役目の櫓「人桝」と呼ばれ、東方に根小屋があり、搦手門となる。 『現地説明板より』

◆和気美しの森







◆土塁

◆曲輪



◆根小屋

◆堀切



◆堀切






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◆石門
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◆軍用石

◆軍用石


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◆太鼓の丸主郭
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◆太鼓の丸説明板



◆景観







♢太鼓丸城跡へのアクセス

日笠青山城跡

所在地:岡山県和気郡和気町日笠上・日笠下・木倉
別名:なし
築城主:日笠親政
築城年:平安時代
廃城年:天正3年(1575年)
主な城主:日笠親政
遺構:郭・堀切・畝状竪堀
再建造物:城跡碑・説明板
指定文化財:なし
訪城日:2023年3月19日(日)晴
駐車場:長泉寺駐車場

【歴史】
築城年は不明ですが、平安時代、日笠親政が備前和気郡に移り住んで、日笠青山城を築き、以後日笠氏が治めた事でその地は「日笠」と呼ばれるようになったという。天文20年(1551年)、尼子晴久が備前に侵攻した時に、日笠氏親尼子派の浦上政宗方に与した。天文23年(1554年)反尼子派の浦上宗景は天神山城の普請に取り掛かったが、天神山城は日笠氏の本拠である日笠青山城と尾根続きで3km程度しか離れておらず、同年に尼子晴久・浦上政宗の軍勢が天神山城を攻める際には日笠氏も尼子・浦上政宗方に付いて天神山城を攻撃している。天神山城は尼子・浦上政宗方の攻撃を持ちこたえ、逆に浦上宗景は徐々に勢力を拡げ、やがて備前を席巻する勢力にまで成長する。宗景は日笠青山城を天神山城を守る上で大切な拠点と考え、日笠青山城主である日笠頼房を重臣として取り立てるなど厚遇し融和を計った。天正2年(1574年)から始まった浦上宗景と宇喜多直家との戦(天神山城の戦い)においては宗景を支持。日笠青山城下に宇喜多軍が攻めてきた時には一門の日笠牛介らの活躍でこれを破ったが、翌天正3年(1575年)宇喜多方優勢となり遂に天神山城は落城し宗景は播磨へと遁走するに至った。頼房は天神山城陥落後も宗景の護衛として播磨まで付き従って逃げたが、その後、頼房は天正10年(1582年)に播磨国の鵤庄で不慮の事で亡くなったという。

◆長泉寺側の登り口(帰りはここへ降りました。)

◆長泉寺より西側からの登り口







◆竪堀

◆北郭

◆堀切

◆主郭
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◆二の郭


♢日笠青山城跡へのアクセス

関川城跡

所在地:岡山県備前市三石
別名:出丸
築城主:不明
築城年:不明
廃城年:不明
主な城主: 不明
遺構:曲輪、堀切
再建造物:なし
指定文化財:なし
訪城日:2023年3月19日(日)晴
駐車場:三石運動公園

【歴史】
和気郡三石村において、『備前記』は村南の「出丸」に尾玉刑部少輔が、『備陽記』は村南の「出丸」に毛利家の尾玉刑部少輔が、『備陽国誌』は「鶯の丸」に浦上村宗の老臣小玉刑部が、『吉備温故録』は村南の「出丸」に毛利家臣の尾玉刑部少輔が、『東備郡村誌』は三石城の別堡の「鶯の丸」に浦上村宗家臣の小玉刑部が居城とある。こうした記載は本城跡を示す可能性があるが、検討を要する。
『岡山県中世城館跡総合調査報告書』より引用


◆木野山神社







◆曲輪

◆土塁



◆主郭

◆主郭

◆主郭土塁



◆帯曲輪

◆曲輪

◆堀切?


♢関川城跡へのアクセス

三石城跡

所在地:岡山県備前市三石
別名:なし
築城主:伝・伊東大和二郎
築城年:伝・1333年(元弘3年、正慶2年)
廃城年:1554年(天文23年)頃
主な城主: 伝・伊東氏、浦上氏
遺構:曲輪、石垣、堀切
再建造物:なし
指定文化財:岡山県指定史跡
訪城日:2023年3月19日(日)晴
駐車場:三石城跡駐車場

【歴史】
『太平記』によれば鎌倉時代終末期の1333年(元弘3年/正慶2年)に三石保地頭の伊東大和二郎が南朝方に加勢し居館の背後にある天王山に城を築いたことに始まると伝えられている。大和二郎は西国から六波羅救援に向かう北朝方に対抗した。南北朝時代の1336年(建武3年/延元元年)には九州へ敗走する足利尊氏が家臣の石橋和義に守備を命じ新田義貞の追撃軍を足止めした。
赤松則祐が備前守護となると浦上宗隆が守護代となり1365年(貞治4年/正平20年)三石城に入城した。以後、室町時代から戦国時代にかけて概ね浦上氏の居城となった。
1441年(嘉吉元年)嘉吉の乱が起こる。赤松氏当主の赤松満祐は室町幕府6代将軍足利義教を暗殺し、山名持豊(宗全)を主力とする幕府軍に居城を攻撃され自害した。これにより備前は山名氏の配下となった。1467年(応仁元年)応仁の乱に乗じて満祐の甥・赤松政則が備前守護となり主家の守護復帰に尽力した浦上則宗も守護代に復帰した。政則の死後、則宗は養嗣子の赤松義村に家督を相続させ赤松氏の中で権勢を振るうようになり、次第に赤松家中で対立を深めていった。
則宗の2代後の当主・村宗の代になり主家との対立が決定的となる。1519年(永正16年)村宗は三石城に籠城し、赤松義村は三石城を包囲した。しかし浦上方は包囲軍を敗走させた。1521年(大永元年)には義村を幽閉し殺害した。こうして浦上氏は戦国大名となった。
村宗の嫡子・政宗が本城の室山城主、次男の宗景が三石城主となった。宗景は兄との不和から1554年(天文23年)播磨国境より離れた天神山城を築いて移り、三石城は放棄された。

◆深谷の滝側登城口

◆三石城跡説明板

◆第二展望台からの景観

◆堀切

◆ここを登ると鶯丸跡

◆鶯丸跡



◆堀切

◆大手門跡石垣





◆馬場跡

◆三の丸跡

◆三の丸

◆二の丸

◆二の丸

◆本丸
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◆本丸
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◆軍用石

◆第五展望台からの展望

◆矢倉台石垣

◆千貫井戸





◆曲輪










♢三石城へのアクセス

津山城跡

所在地:岡山県津山市山下
別名:鶴山城
築城年:嘉吉年間(1441年~1444年)
築城主:山名忠政
廃城年: 明治6年(1873年)
主な城主:山名氏、森氏、松平氏
遺構:石垣、堀
再建造物:備中櫓、塀、案内板
指定文化財:国指定史跡
訪城日:2021年11月22日(火)雨のち曇
駐車場:無料駐車場

【歴史】
嘉吉年間(1441年~1444年)、美作国の守護大名であった山名教清が、一族の山名忠政に現在の津山城のある丘陵(鶴山)に鶴山城を築かせたのが最初である。しかし応仁の乱で山名氏衰退ののち廃城となる。
徳川家康が江戸幕府を開いた慶長8年(1603)、森忠政が関ケ原の合戦の軍功により、信濃松代から美作18万6千石で入封し津山藩が立藩。同年、現在見られる津山城の築城に着手。また、城地の名を「鶴山」から「津山」に改めた。1616年(元和2年)13年の歳月をかけ完成。天守、櫓、城門などを合わせ80余棟が建ち並ぶ近世城郭となった。しかし、元禄10年(1697年)6月、森氏四代長成が嗣子がなく死去したために断絶となり安芸国広島藩主・浅野綱長の預かりとなる。
1698年(元禄11年)松平宣富(越前家)が越後国高田藩より10万石で入封。以後、明治4年(1871年)の廃藩置県まで城主となる。





■忘れ去られた石

■津山城跡復元図

■津山城跡説明板

■森忠政公像

■森忠政略歴

■表門









■三の丸

■三の丸

■当時火薬庫があった広場

■説明板

■表中門







■備中櫓

■鉄砲櫓跡

■鉄砲櫓説明板

■四足門

■四足門説明板


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■枡形

■弓櫓跡

■弓櫓説明板



■十四番門



■表鉄門(おもてくろがねもん)

■表鉄門説明板



■本丸

■城内表門



■本丸

■井戸





■説明板

■多門櫓

■多門櫓

■多門櫓説明板

■七番門

■七番門説明板





■ハートの石

■天守台


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■天守台からの風景

■天守台説明板

■長櫓



■常用井戸



■腰巻櫓

■腰巻櫓説明板



■裏中門

■裏中門説明板



■ドラクエ?


♢津山城跡へのアクセス
なんとなく城跡巡り2へようこそ!

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