なんとなく城跡巡り2

主に近畿地方を中心にCBR400Rで城跡を巡っています

豊能郡

上杉城跡

所在地:大阪府豊能郡能勢町上杉
別名:槻並城
築城年:不明
築城主:不明
廃城年:不明
主な城主:小塩氏
遺構:郭・堀切・土塁
再建造物:なし
指定文化財:なし
訪城日:2022年5月6日(金)晴
駐車場:上杉稲荷神社手前の道路脇

【歴史】
上杉城の築城年代など詳細は不明。本丸は40m×23mの規模で長方形に近い、北には堀切、北より南西には土塁を備え中央部に大石がある。向式部丞の居在とも、小塩氏が在城したとも伝わる。
『日本城郭大系12より』

■ここから登城

■五輪塔群

■平坦地







■堀切

■堀切

■郭

■郭(奥に土塁)

■堀切

■郭



■主郭

■主郭土塁

■大堀切

■大堀切




♢上杉城跡へのアクセス

片山城跡

所在地:大阪府豊能郡能勢町片山
別名:塩山城
築城年:応仁年間(1467~69年)か
築城主:塩山肥前守景信
廃城年:天正7年(1579年)
主な城主:塩山氏
遺構:郭・堀切・土塁
再建造物:なし
指定文化財:なし
訪城日:2022年5月6日(金)晴
駐車場:なし(車であれば少し遠いが永看院に駐車できる)

【歴史】
『摂陽群談』には、塩山肥前守景信が在城し応仁の頃の築城といい、景信は、塩山城(止々呂美城・箕面市)の城主でもある。摂津志には、片山備前守の居城と記されているが判然としない。
『日本城郭大系12より』

織田信長に対し反旗を翻した荒木村重に同調した能勢の諸城は、天正7年(1579年)4月末、織田信長連合軍は、織田信忠、信澄を大将に、能勢に攻め寄せ片山城は落城しました。

■ここから登城します

■片山八幡宮

■NTT DoCoMo能勢無線中継所への階段を上る

■NTT DoCoMo能勢無線中継所

■郭

■主郭

■土塁

■堀切1

■二郭

■二郭

■堀切2

■郭

■郭

■堀切

■郭

■郭




♢片山城跡へのアクセス
国道173号線を北上し片山口交差点を右折、片山八幡宮を目指す。

野間城跡

所在地:大阪府豊能郡能勢町野間中
別名:なし
築城年:仁安3年(1168年)
築城主:野間高頼
廃城年:天正八年(1580年)
主な城主:野間氏
遺構:郭・堀切・土塁
再建造物:なし
指定文化財:なし
訪城日:2022年5月6日(金)晴
駐車場:なし

【歴史】
仁安3年(1168年)に多田源氏の流れを汲む野間高頼によって築かれたと伝わる。野間氏は、摂津能勢地方において同族の能勢氏、余野氏と共に能勢三惣領の一つとされている。
南北朝時代の城主は内藤満幸で、その娘は南朝側の楠木正成の長男楠木正行に嫁いだ。満幸が北朝側の高師直に寝返ったため離縁され、摂津池田氏の池田教依に嫁ぎ直したとされる。
天正年間(1573年~1591年)には高頼の後裔野間豊後守資持が在城していたと伝わっている。天正8年(1580年)織田信長の配下であった塩川長満の攻撃で落城したとされる。

■民家横の階段から登城

■野間氏居館跡

■野間氏居館跡主郭

■野間氏居館跡土塁

■野間氏居館跡東側土塁

■野間氏居館跡

■野間氏居館跡

■削平地

■野間丹下墓碑

■参道入り口



■郭

■郭







■土塁

■主郭

■主郭

■大堀切

■大堀切

■大堀切


♢野間城跡へのアクセス

野間中城跡

所在地:大阪府豊能郡能勢町野間中
別名:なし
築城年:天正8年(1580年)
築城主:野間氏
廃城年:不明
主な城主:野間氏
遺構:郭・堀切・土塁
再建造物:なし
指定文化財:なし
訪城日:2022年5月6日(金)晴
駐車場:なし

歴史
野間中城の詳細は不明ですが、天正8年(1580年)野間城の支城として新城を築くが完成途上で中止と伝わっています。

■石像摩崖仏(ここが目印)

■ここから登城します

■郭



■郭



■堀切

■堀切

■空堀状の窪み

■郭群
Z5V_1229

■主郭
Z5V_1230

■主郭土塁
Z5V_1231

■主郭にある城跡目印
Z5V_1232

■主郭
Z5V_1233

■土塁郭
Z5V_1234

■郭
Z5V_1235

■2郭
Z5V_1236

■櫓台
Z5V_1237


♢野間中城跡へのアクセス
石像摩崖仏の脇道に入り放置車の横を通ってすぐに上るところがあります。

高山右近生誕の地(屋敷跡)

所在地:大阪府豊能郡豊能町高山
別名:なし
築城年:不明
築城主:不明
廃城年:不明
主な城主:高山氏
遺構:なし
再建造物:なし
指定文化財:なし
訪城日:2022年5月6日(金)晴
駐車場:なし

【歴史】
戦国時代の武将でキリシタン大名として名高い高山右近の生誕地碑です。出生地は諸説ありますが、摂津・高山生まれが通説となっています。高山は豊かな自然に囲まれた場所で、秋には美しい紅葉を観ることができます。周辺には、高山マリアの墓や高山高札場跡などの史跡が点在しています。









♢高山右近生誕の地へのアクセス

高山城跡

所在地:大阪府豊能郡豊能町高山
別名:なし
築城年:長禄年間(1457~1460年)
築城主:高山入道?
廃城年: 天正初期頃?
主な城主:高山氏
遺構:郭、堀
再建造物:なし
指定文化財:なし
訪城日:2022年5月6日(金)晴
駐車場:高山公民館

【歴史】
高山城は標高約490メートル、比高50m前後の山上に位置し、頂上に44m×15mの長方形に近い平坦地があり中央北東寄りは一段高く井戸跡状の凹部があります。高山氏は、15世紀半ばに高山庄の土豪として頭角を現し、天文21年(1552年)頃高山飛騨守厨書(友照)が居り、この年高山重友(右近)が誕生。松永久秀の配下だった永禄元年(1558年)宇陀郡の沢城与えられ、友照はその城主となったが、永禄8年(1566年)に三好三人衆と松永久秀の争いに巻き込まれ落城し高山に帰っている。その後、永禄11年(1569年)には和田惟正の家臣となり翌年に芥川城を任されている。
『日本城郭大系12より一部抜粋』


■ここから登城します



■二の丸

■途中の風景

■空堀

■主郭



■高山城跡説明板

■主郭

■主郭


■右近の郷にある石像(露出オーバーになっています)
大阪府豊能郡豊能町高山10

■説明板


■高山マリアの墓入り口
大阪府豊能郡豊能町高山279

■高山マリアの墓

■高山マリアの墓説明板


♢高山城跡へのアクセス

高山向山城跡

所在地:大阪府豊能郡豊能町高山766
別名:なし
築城年:長禄年間(1457~1460年)
築城主:高山入道
廃城年: 天正初期頃?
主な城主:高山氏
遺構:土塁、郭、堀
再建造物:なし
指定文化財:なし
訪城日:2022年5月6日(金)晴
駐車場:高山公民館

【歴史】
近年発見された城郭遺構で、詳細不明だが高山氏が関連していると考えられている『大阪府中世城館事典』。15世紀半ば高山入道が長禄年間(1457~1460年)浄土寺方の代官として登場。在地支配を形成して行く中で高山城、向山城が築かれた。両城とも小規模な構造。天文21年(1552年)頃高山飛騨守厨書(友照)が居り、この年高山重友(右近)が誕生。松永久秀の配下だった永禄元年(1558年)宇陀郡の沢城与えられ、友照はその城主となった。その後、高山向山城跡は、次第に利用価値を失い天正初め頃には廃城になったと思われます。

■ここから登城

■見上げるとこんな感じ


Z5V_1178

■郭
Z5V_1179







■土塁

■主郭

■大堀切

■大堀切

■長い平坦地



■大川大明神社跡石碑

■石碑より北に進みます。










♢高山向山城跡へのアクセス
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