なんとなく城跡巡り2

主に近畿地方を中心にCBR400Rで城跡を巡っています

秋田県

脇本城跡

所在地:秋田県男鹿市脇本脇本字七沢外
別名:なし
築城年:不明
築城主:不明
廃城年: 天正18年(1590年)?
主な城主:安東氏
遺構: 曲輪・土塁・空堀
再建造物:なし
指定文化財:国指定史跡
訪城日:2022年8月5日(金)晴
駐車場:①脇本城無料駐車場②脇本城跡案内所のそばにスペースあり
続日本100名城スタンプ設置場所:史跡脇本城跡案内所
※スタンプ設置場所に変更があることもあります。必ず最新の情報をチェックしてから行くことをおすすめします。

【歴史】
脇本城跡は、安東氏の一族安東愛季(ちかすえ)が安土桃山時代の天正5年(1577年)に大規模な修復を行って、居城とした城であるといわれています。その規模は生鼻崎から本明寺の上の馬乗り場を経て、脇本第一小学校上の兜ヶ崎までを含む、総面積約150ヘクタールに及び、東北最大級といわれています。城の遺構は、多数の曲輪(くるわ)・土塁(どるい)・空堀(からぼり)・井戸跡などの他、虎口(こぐち)と呼ばれる城の入口部などが確認され、発掘調査では当時使用した陶磁器などが出土しています。

■登城口

■登城口にある案内板

■脇本城跡説明板

■脇本城跡説明板

■中央部の曲輪

■天下道

■屋敷跡


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■馬乗り場

■空堀

■脇本城主要地区(主郭部)



■大土塁

■井戸跡

■大土塁

■館神堂



■城下町

■城下町案内板



■東端の曲輪
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■井戸跡

■井戸跡




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■菅原神社二之鳥居

■菅原神社本殿


♢脇本城跡へのアクセス

久保田城跡

所在地:秋田県秋田市千秋公園1−1番4
別名:矢留城、葛根城、秋田城
築城年:1604年(慶長9年)
築城主:佐竹義宣
廃城年:1880年(明治13年)
主な城主:佐竹氏
遺構:土塁、堀、門、番所
再建造物:本丸新兵具隅櫓、本丸表門
秋田市指定名勝:千秋公園(久保田城跡)
秋田市指定有形文化財:御物頭御番所
訪城日:2022年8月5日(金)晴
駐車場:千秋公園二の丸(有料)
日本100名城(9番)スタンプ設置場所:久保田城御隅櫓(9:00~17:00)
※スタンプ設置場所に変更があることもあります。必ず最新の情報をチェックしてから行くことをおすすめします。


【歴史】
久保田城は、慶長七年(1602年)に出羽国へ国替えとなった佐竹氏二十万五千八百石の居城であり、複数の廓を備えた平山城です。
築城は慶長八年(1603年)年五月に開始され、翌年の八月には初代藩主佐竹義宣が久保田城に入り、旧領主秋田氏の居城であった湊城は破棄されました。
しかし、義宣が湊城から居を移した後も城普請は続けられ、完成したのは寛永八年(1631年)頃といわれています。
久保田城の特徴は、石垣がほとんどなく堀と土塁を巡らした城であることと、天守閣をはじめから造らなかったことが挙げられます。
天守閣を造らなかったのは、国替えによる財政事情や幕府への軍役奉仕、徳川幕府への遠慮などが原因であると考えられています
1868年 (慶応4年・明治元年) - 戊辰戦争。久保田藩は新政府軍を支持したため庄内藩・盛岡藩などから攻撃を受け(秋田戦争)、領内の大半が戦場となり特に庄内藩には城下12kmの椿台まで迫られたが、仙台藩・米沢藩の降伏を受けて庄内藩が撤退したため、久保田城は戦禍を免れた。


■大手門の堀

■中土橋門跡にある久保田城跡石碑

■穴門の堀

■松下門跡

■二の丸跡

■長坂門跡

■御物頭御番所(復元)
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■御物頭御番所説明板
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■久保田城表門(復元)

■久保田城表門説明板

■久保田城跡案内板

■久保田城表門礎石説明板

■本丸に鎮座する八幡秋田神社

■本丸跡

■本丸跡にある佐竹義堯公銅像
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■埋門跡

■多門長屋跡
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■久保田城御隅櫓(復元)

■久保田城御隅櫓説明板

■帯曲輪門跡

■御鷹屋御番所跡

■裏門跡

■本丸表門裏側
(復元)
■霊泉台

■茶室

■茶室

■御出し書院跡

■黒門跡

■黒門の堀


♢久保田城跡へのアクセス
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