♢城郭情報
所在地:茨城県土浦市中央1丁目13(亀城公園)
別名:亀城
築城主:若泉三郎
築城年:永享年間(1429年~1441年)
廃城年: 明治6年(1873年)
主な城主:若泉氏、小田氏、松平氏西尾家、朽木家、土屋家
主な改修者: 松平信一・信吉、西尾忠照、朽木稙綱・種昌
遺構:太鼓櫓門、土塁、堀
再建造物:東櫓・西櫓
指定文化財:茨城県指定史跡
訪城日:2024年5月2日(木)晴
駐車場:土浦市立博物館第2駐車場
続日本100名城:No113
スタンプ設置場所:土浦市立博物館
御城印販売場所:①土浦市立博物館②土浦市観光協会(まちかど蔵「大徳」)
※販売場所や営業時間等、必ず最新の情報を確認してから行くことをお勧めします。
【歴史】
室町時代の永享年間(1429年から1441年)に常陸守護であった八田知家の後裔で豪族の小田氏に属する若泉(今泉)三郎が築城した。永正13年(1516年)、若泉五郎左衛門が城主の時に小田氏の部将・菅谷勝貞によって城は奪われ、一時は信太範貞が城主を務め、後に菅谷勝貞の居城となる。しかし、小田氏は上杉・佐竹勢に徐々に圧迫され、小田氏治は小田城を逃れて土浦城に入った。その後、度々小田城を奪回するが、永禄12年(1569年)の手這坂の戦いで真壁軍に大敗して勢力を失い、元亀元年(1570年)以降は佐竹氏の攻撃を直接受けるようになり、菅谷政貞・範政親子も主君小田氏を補佐したが、天正13年(1583年)に小田氏治は佐竹氏の軍門に降る。天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐の際に菅谷範政は後北条氏と結んだため佐竹氏や徳川家康の軍勢に攻められ、主君小田氏とともに滅亡した。関東に入った徳川家康は、土浦を結城秀康に与え、土浦城を領内の支城とする。秀康が越前国北ノ庄に移ると、藤井松平家の松平信一が入封した。その後、松平信吉の代に5千石の加増を受ける。元和3年(1617年)、信吉が上野国高崎に転封となって西尾忠永が入封した。以後、城主は西尾家・朽木家と代わり、寛文9年(1669年)には土屋数直が入封した。土屋家は、天和2年(1682年)に政直のときにに駿河国田中に移ったが、代わって城主となった大河内松平家の松平信興が5年後の貞享4年(1687年)に大坂城代に転ずると、土屋政直が再び6万5千石で入封した。その後、3度の加増を受けて9万5千石となり、常陸国では水戸藩に次いで大きな領地を支配し、以後土屋家が11代(約200年間)にわたって世襲して明治維新に至った。廃藩置県の2年後、1873年(明治6年)土浦城は廃止された。
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◇旧前川口門
◇旧前川口門の説明板
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◇聖徳太子堂
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◇内濠
◇外濠
◇土浦城霞門
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◇東櫓
◇西櫓
◇西櫓の説明板
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◇太鼓櫓門
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◇二の丸跡
♢土浦城跡へのアクセス
所在地:茨城県土浦市中央1丁目13(亀城公園)
別名:亀城
築城主:若泉三郎
築城年:永享年間(1429年~1441年)
廃城年: 明治6年(1873年)
主な城主:若泉氏、小田氏、松平氏西尾家、朽木家、土屋家
主な改修者: 松平信一・信吉、西尾忠照、朽木稙綱・種昌
遺構:太鼓櫓門、土塁、堀
再建造物:東櫓・西櫓
指定文化財:茨城県指定史跡
訪城日:2024年5月2日(木)晴
駐車場:土浦市立博物館第2駐車場
続日本100名城:No113
スタンプ設置場所:土浦市立博物館
御城印販売場所:①土浦市立博物館②土浦市観光協会(まちかど蔵「大徳」)
※販売場所や営業時間等、必ず最新の情報を確認してから行くことをお勧めします。
【歴史】
室町時代の永享年間(1429年から1441年)に常陸守護であった八田知家の後裔で豪族の小田氏に属する若泉(今泉)三郎が築城した。永正13年(1516年)、若泉五郎左衛門が城主の時に小田氏の部将・菅谷勝貞によって城は奪われ、一時は信太範貞が城主を務め、後に菅谷勝貞の居城となる。しかし、小田氏は上杉・佐竹勢に徐々に圧迫され、小田氏治は小田城を逃れて土浦城に入った。その後、度々小田城を奪回するが、永禄12年(1569年)の手這坂の戦いで真壁軍に大敗して勢力を失い、元亀元年(1570年)以降は佐竹氏の攻撃を直接受けるようになり、菅谷政貞・範政親子も主君小田氏を補佐したが、天正13年(1583年)に小田氏治は佐竹氏の軍門に降る。天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐の際に菅谷範政は後北条氏と結んだため佐竹氏や徳川家康の軍勢に攻められ、主君小田氏とともに滅亡した。関東に入った徳川家康は、土浦を結城秀康に与え、土浦城を領内の支城とする。秀康が越前国北ノ庄に移ると、藤井松平家の松平信一が入封した。その後、松平信吉の代に5千石の加増を受ける。元和3年(1617年)、信吉が上野国高崎に転封となって西尾忠永が入封した。以後、城主は西尾家・朽木家と代わり、寛文9年(1669年)には土屋数直が入封した。土屋家は、天和2年(1682年)に政直のときにに駿河国田中に移ったが、代わって城主となった大河内松平家の松平信興が5年後の貞享4年(1687年)に大坂城代に転ずると、土屋政直が再び6万5千石で入封した。その後、3度の加増を受けて9万5千石となり、常陸国では水戸藩に次いで大きな領地を支配し、以後土屋家が11代(約200年間)にわたって世襲して明治維新に至った。廃藩置県の2年後、1873年(明治6年)土浦城は廃止された。
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◇旧前川口門
◇旧前川口門の説明板
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◇聖徳太子堂
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◇内濠
◇外濠
◇土浦城霞門
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◇東櫓
◇西櫓
◇西櫓の説明板
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◇太鼓櫓門
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◇二の丸跡
♢土浦城跡へのアクセス